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戸塚は「去る者は追わず来る者は拒まず」のダイバーシティに

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日立製作所のIR説明会でCEOのこの発言を目にして。

通信機器事業はアラクサラネットワークスの株式譲渡や戸塚事業所を閉鎖し、プロダクト事業は小田原事業所を神奈川事業所へ統合した。

以前から戸塚区内で働く日立製作所の従業員が減っていること、西口の広大な敷地を使わなくなること等で「戸塚から日立が居なくなりつつある説」は大きな話題となっていた。戸塚は東海道五十三次の宿場町から日立の街になったのが1930年代頃、その後恐らくピーク時には数万人規模の従業員が勤務する戸塚には、日立製作所の従業員寮や従業員が近隣にマイホームを買いたくさんの「日立民」によって戸塚の経済は保たれてきた。

日立製作所ほどの企業が街に居ることで大きな恩恵を受けるのは飲食業界、会社員が仕事終わりに呑むための飲食店、部署の歓送迎会のために使われる飲食店、だから戸塚には多くの飲食店が昔から存在していたんだきっと。もうひとつは、日立製作所の下請け事業者も戸塚には多かったと思う。

現在の戸塚の日立製作所で働く人の数は正確にはわからないが、ピーク時から比べたら1割程度かもしれない。そうなると、日立製作所の従業員でもっていた飲食店は経営が厳しくなるのは必然。日立製作所の従業員が減ったことで閉店した飲食店も少なくないはずだ。

今の戸塚は駅周辺のマンション乱立により、大規模なベッドタウンになっているがここで暮らす人々が戸塚の飲食店に落とす金額は日立製作所の従業員が使っていた額に比べると大幅に減っているはず。それでも、まだ戸塚には多くの飲食店が存在し新たに開店する飲食店も少なくはない。それは恐らくリタイヤ世代がまだまだ元気に飲食できるからであって、今後を考えると戸塚の経済規模の縮小と並行して飲食店も減って行く可能性が高い。

ここで終わってしまうと戸塚が見通しの暗いトンネルに入ってしまう記事になるが、希望はある。それは日立製作所の土地を購入して進出してくれる中外製薬

ニュース|中外製薬

以前、中外製薬の方と戸塚でお会いした時に何年に事業所として稼働するか聞いたはずが忘れてしまったが、戸塚西口の柏尾川を挟む形の日立製作所の土地を中外製薬が購入してそこで中外製薬の従業員が多く働く。これはまた新しく戸塚で働く人が増えるということで希望は持てる。しかも、事業所の稼働前から中外製薬の方々は戸塚の色々な場面で協力をしようとしてくれていて、これも戸塚にとっては頼もしい。(既に動いている部分もあるけど、ここで書いて良いのかはわからないからあえて伏せておく)

中外製薬の従業員が戸塚でどのくらいの人数働くのか、戸塚の人を雇うような雇用が生まれるのか、長い目で見て中外製薬で働いているのがきっかけで戸塚で生きて行きたい人がどのくらい現れるのかはとても楽しみでもある。

戸塚区には旧横浜ドリームランドの跡地にできた横浜薬科大という、中外製薬とも絡めそうな大学もあることで産学連携の期待もできる。その時のテストマーケティングやリサーチデータ収集のために戸塚区民が活用されたりしても面白い。この辺りが戸塚内の経済にどのような好循環をもたらしてくれるのか今後を楽しみにするとしよう。

その時に生き残っている事業者でいられるように頑張らなくちゃ(笑)

こうやって、去る企業があれば新たに進出してくれる企業があるという意味で戸塚はまだ死んでいない。だからこそ、もっと魅力的な戸塚を目指して地元の事業者として、戸塚で育った者として色々とまだまだ頑張らないと。新たに営む事業者や新たに暮らす人もすーっと浸透できるウェルカムでダイバーシティな戸塚を目指したいですね。

 

 

 

戸塚は「去る者は追わず来る者は拒まず」のダイバーシティに